かぴの部屋

喫茶YOUのオムレツ

2008.05.12

先月の日本テレビ『未来創造堂』(金夜11時~11時30分)に
贔屓役者の市川亀治郎さんが出演し、出前の一つに紹介したのがこのオムレツ。

「喫茶YOU」という東銀座の歌舞伎座近くにあるお店で食べられます。

何の変哲もないこじんまりとしたお店ですが、
特別に歌舞伎役者さんの出前を受け付けているそうで、評判の味とのことでした。

「注文を受けて作り始めてから5分以内に食べなければいけない」という、
ウルサイしきたりがあるそうです。

番組でも注文を受けた後すぐ作り始め、東銀座から麹町の日本テレビまで5,6分で運ばれ、
木梨憲武ら出演者が慌てて食べていました。

私も先月22日に歌舞伎観劇の際に、いただきました。
昔懐かしいバターの香りが漂い、ケチャップと卵のクリーミーな味わいがまろやかな一品。

コーヒーが付いて1,000円は格安な方で、昼時ということもあって、
サラリーマンにも人気があるようでした。

しばらくたっても忘れられない味でしたので、掲載しました

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仕舞・謡のお稽古見学

2007.11.15

久しぶりのブログ再開。

実は、先月27日に「三響会」(於:新橋演舞場)という能楽と歌舞伎音楽のコラボレーションを観にいったのがきっかけで、能楽にもはまってしまった。
会場に置いてあったちらしから、早速「のうのうくらぶ」なる愛好会に加入した。
さらに能楽の理解を深めるため、仕舞(しまい)と謡(うたい)お稽古に通うことにした。
申込の前に、稽古場を見学させていただいた。

仕舞の稽古場は矢来能楽堂ではなく、近くのマンションの1階(バレー等も稽古できるような鏡張りのスタジオ)。
能楽師の観世喜正さんが、発表会前の生徒さんに稽古を付けていたのにはビックリ!
先月新橋演舞場で、歌舞伎役者の中村七之助・市川亀治郎・市川染五郎と一緒に、「獅子」「一角仙人」を舞っていた能楽の御曹司が、素人同然の弟子に丁寧に稽古を付けるなんて。
歌舞伎役者なら絶対、あり得ない!と、その時感動すらしました。

翌日の謡の稽古(これは矢来能楽堂)もプロの能楽師が付けていた。
見学であるにもかかわらず、テキストを渡され、一緒に「橋弁慶」を謡った。
テキストは、要するに高校時代にやった古文と同じ。
独特な節回しで読み上げるのだが、プロの方の謡はお腹の底から声を出すので、能楽堂に響き渡り、凄い!

それより、矢来能楽堂に足を踏み入れた時から、その舞台構造に感動してしまった。
能は10年以上前に、中野の山本東次郎さんの能楽堂で一度観たきり、ご無沙汰していた。

2、3年前から歌舞伎を見始めたが、歌舞伎の松羽目物(まつばめもの)には、能から取り入れら得た演目はたくさんある。
例えば「勧進帳」「俊寛」「船弁慶」「紅葉狩」「隅田川」「石橋」(しゃっきょう・歌舞伎でいう「連獅子」)等など。
これらの演目を能でも観てみたいと、かねがね思っていた。

神楽坂駅から帰る途中、能と歌舞伎の興行形態について色々と考えさせられた。
歌舞伎公演は、松竹が経営しているため、良くも悪くも商業主義に流されている。
それに対し、国の助成金は受けているが自主公演が多い能楽は、自分達で愛好者を育てながら、興行を続けているのだ。

他の演劇との垣根が低くなり、様々なジャンルの演劇がコラボレーションを行うようになった今日この頃、伝統を守りつつ、能の魅力を発信していく能楽師たちの心意気を感じた。

地震大国ニッポン!

2007.08.28

この半年間、能登半島・新潟と大きな地震が続き、
小型に至っては数え切れないほど・・・・。
週刊誌などでも「イザという時にこれだけは用意!」と、
防災グッズの掲載が目につく。

巨大地震発生の時に、もし地下鉄に乗っていたら? 
自動車に乗って移動中だったら?・・・と、誰でも不安がつきないだろう。

私の目下の心配は、
「歌舞伎座にいたら、果たして脱出できるのだろうか?」なのである。
戦争中に空襲で焼けた歌舞伎座は、
昭和26年に再建されたが、その後も増改築している。
マックス2000人強まで収容できる巨大劇場だ。

普通の劇場と異なり、2階席・3階席も多く、
地震の際の倒壊・落下の危険が大きい。

さらに人気演目の時は,
4階の幕身席(天井桟敷)の欄干に人がすずなりに群れ、
普段ですら桟敷ごと下に落ちてしまうのではと心配するくらい、
観客が入ることがある。

建築法上、限界すれすれと思うし、
しかも築50年以上たっているので、
「2,3年後には建替えないと、巨大地震の時に危険」と、
以前から言われている。

そして先日、ついに恐れていた事態がやってきた。
8月18日(土)午後1時40分頃、納涼歌舞伎を観劇中、
突然3階席がユサユサと揺れた。
(帰宅後調べたら、中央区あたりでは震度1だったそうだ。)
3階の観客達は口々に「地震だ」と顔を見合わせ、騒然となる。

私はいつも「3階東袖の端」に座っている。
東袖とは分かりやすくいうと、
舞台に向かって右側の壁際に2列張り出された座席だ。
そこは料金が安くて、しかも花道が見えるおトクな席で、
毎月先行予約でしか買えない。

舞台を見ると、女形の中村福助さんが優雅に踊っていた。
まるで地震に気づかないかのように踊る彼の上に、
はらはらと紙ふぶきが舞い、
その紙片は照明のせいで、金色にキラキラ輝いていた!

なんという心憎い演出か!と思っていたら、
それは舞台の上のホコリだった。
トホホ・・・。

役者は小屋(劇場)が倒壊するまで踊り続けるのかと、
一瞬思いながら、舞台を見続けた。


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Viva! 上方歌舞伎

2007.08.14

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大阪松竹座7月公演
昼の部 : 「鳴神」「橋弁慶」「義経千本桜(渡海屋・大物浦)」
夜の部 : 「鳥辺山心中」「身替座禅」「女殺油地獄」


2年前の3月国立劇場で、
上方の歌舞伎役者 六代目片岡愛之助(松嶋屋)にはまり、
京阪にも歌舞伎観劇に出かけるようになった。


この愛之助、実は歌舞伎役者の家に生まれていない

一般家庭出身で、子役から13代片岡仁左衛門に弟子入りし、
20歳の時に次男秀太郎の養子となった。

歌舞伎界では名門の家に生まれ、後ろ盾(父親)が有力者でないと、
実力があっても、若い時から良い役をやらせてもらえない。


20代の頃は役つきが悪かったし
、第一、関西には歌舞伎の公演自体が少なかったという。
30を越える頃から才能や研鑚が認められ、
次第に人気が出て、良い役がつくようになった。


この7月大阪松竹座では、
六幕のうち、最多の5役を演じることになった。
ところが月半ばに、市川海老蔵が風呂場で足をケガして降板。

急遽翌日から、代役として「鳴神」にも出ることになった。

しかも初めての役である。
千穐楽まで、主役を3幕、脇を3幕と出ずっぱりになってしまった。

「歌舞伎役者が超人的に凄い」と思うのは、こうした緊急事態になっても、
翌日までに台詞も所作もしっかり覚えて、何事も無く演じてしまう所だ。

愛之助の「鳴神」を見ることができて、贔屓(ひいき)としては思わぬ儲けものであった。

江戸歌舞伎の代表作の一つ「鳴神」を上方役者の彼が演じられるのか、
観る前は正直不安であったが、江戸の御曹司たちに遜色なく立派に舞台を勤めていた。


この役者を観るたびに、
「人生における数奇な出会い」や
「少ないチャンスを生かせるように精進し続ける大切さ」
をいつも感じさせる。


9月には同じ大阪松竹座で、
「蝉しぐれ」(藤沢周平原作)の牧 文四郎を主演する。


TVの内野聖陽、映画の市川染五郎に続いて、
舞台で愛之助がどう演じるか楽しみである。

法善寺横丁

2007.08.10

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にぎやかな道頓堀から一歩奥に入ると、
法善寺横丁の看板がかかった細い路地が続く。

看板の文字は、関西喜劇の大御所として有名だった
藤山寛美(藤山直美の父)の書という。

早朝に歩くと、しっとりとした静けさをただよわせ、
打ち水で濡れた石畳は独特の風情を醸し出している。

法善寺横丁は
昭和初期の人情喜劇小説「夫婦善哉」(めおとぜんざい)の舞台として知られている。

小料理屋「正弁丹吾亭」の前に、
作者の織田作之助の碑「行き暮れてここが思案の善哉かな」がある。

法善寺は「水かけ不動さん」の名で親しまれ、
その門前に小料理屋・バー・レストラン等が軒を並べてひしめき合い、
夜にはまた別の顔を見せる浪花情緒あふれる一角である。

私は大阪に着くと、必ず法善寺境内を見て回り、
線香の香りを楽しむようにしている。

猫のひたいのように狭いが、
境内をそぞろ歩くのは気持ちがいい。

その隣にあるのが、小説にも登場する甘味処「夫婦善哉」。
まだ一度も食したことがないが「ぜんざい」の他、
関西風の「みそおでん」が美味しいとのことだ。


前夜に深夜バスに乗り、
大阪なんばのバスターミナルに到着するのが朝7時ごろ。

道頓堀・法善寺横町をぶらついた後、朝食を取りながら芝居の台本を読み、
劇場の開場時間(10時30分)までの時間を過ごす。


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次回は「大阪松竹座 7月大歌舞伎」について、簡単にコメントをします。

道頓堀の喧騒

2007.08.08

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道頓堀中央に、ひときわ目をひくのは「動くかに道楽」の看板

海鮮料理専門店で、往来を歩く通行人向けにかに寿司や、
かに弁当なども販売している。

「大阪松竹座」斜め前にあるため、劇場内の食事に購入する人も多い。
味はまあまあだが、値段のわりに量が少なめかな。

「中で人が自転車で必死に漕いで動かしている」という言い伝えがあるが、
それは真っ赤なウソ。
でも奇怪なカニの手足の動きを見ると「さもありなん」とつい思ってしまう。

2003年の阪神タイガース優勝騒ぎで、
暴徒化したファンがカニ看板によじ登り、目玉をもぎ取られて、
阪神タイガースの旗が刺される事件があった。

阪神タイガース優勝には、道頓堀川に飛び込む人が後を絶たず、
「カーネルおじさんの呪い」(※)やら「くいだおれ人形の受難」とか騒動がつきもので、
良くも悪くも派手ではっちゃけた大阪人気質を感じさせる。

※ 1985年の優勝時は、ケンタッキーフライドチキンのマスコット人形が
道頓堀川に投げ込まれたり、隠されたりした。
怒ったカーネル・サンダースが、
その後18年間阪神タイガースを優勝させなかったという
冗談のような都市伝説というか、笑い話。

往来を歩くと蛇や魚の極彩色の看板が目立ち、
極楽戎神社」など人目を引くパブリシティが多い。
また客寄せのため、サンドイッチマンよろしく旗を持つ人もいる。

土産物店では「おおきに」「ほな、またね」等など早口の大阪弁が飛び交う。
路上にはせかせか歩く人や、
大袈裟なジェスチャーでガナリたてている人を見かける。

たかだか500m前後の道頓堀の街並だが、都市の喧騒と猥雑さが同居し、
日本一「けったいな街だ」と、私は思っている。

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次回は、道頓堀の裏にある「法善横丁の静けさ」をご紹介します。

くいだおれ人形

2007.08.07

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大阪道頓堀名物の一つに「くいだおれ人形」があるのをご存知でしょうか。


TVのバラエティ番組等で一度は目にした方も多いと思いますが、
大阪ミナミ(道頓堀)のど真ん中にあり、
観光客の記念写真撮影スポットとして知られています。


正確には「くいだおれ太郎」で、
飲食店の広告塔として1950年ごろから御目見えしていましたが,
1990年代以降マスコミに取り上げられ、全国的に知名度がアップしました。


大阪文化を代表する「文楽人形」のからくりをまねて作られ、
電動仕掛けで太鼓を叩いたり、鐘を鳴らす・首を振る・口パクするなど、
なかなか愛嬌のある人形です。


顏が元阪神タイガースの亀山 努選手にちょっと似ています。
そのためか阪神タイガースが優勝しそうになると、
熱狂的なファンによって道頓堀に投げ捨てられるのではないかと、
店の人は戦々恐々なのだそうです。


今回大阪に行った時は表通りだけでなく、
裏通りに新装開店した西洋料理店にも「ウラ・くいだおれ人形」(くいだおれ楽太郎)が御目見えしていました。
でも表に比べると、華やかさに欠け、心なしか寂しそうでした。


ちなみに「食い倒れ」とは
「ぜいたくな飲食のために財産を無くすこと」(新明解国語辞典)。


新鮮な魚介類がふんだんに手に入る大阪は、
江戸時代から「京の着倒れ、大阪の食い倒れ」という言葉が定着するほど
「美食の都」として知られています。


道頓堀にはcolorfulで奇抜な飲食店の看板が多く、
夜になるとネオンの極彩色が大阪ミナミの街を染め上げます。


次回は気になる看板をご紹介します。

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大阪道頓堀

2007.08.06

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7月21日土曜日に日帰りで大阪に遊びに行った。
目的は道頓堀にある「大阪松竹座」(写真上)での歌舞伎観劇のためで、年4回は大阪に足を運ぶ。

正確に言えば20日深夜に新宿発の長距離バスに乗り、明け方7時頃、大阪なんばに到着。
その日の夜11時ごろ大阪発の深夜バスに乗り、明け方新宿に到着するという強行軍だ。

なぜそんなむちゃをするかというと・・・

朝11時から昼の部・夜の部を見て夜9時過ぎに芝居がはねて、帰京しようとすると、夜の新幹線最終に間に合わないので、いつも長距離バスを使う。

交通費が新幹線往復3万円に対して、往復5,000円で済むところも魅力の一つだ。


朝の道頓堀はけだるいが、それが大阪に来たという実感を感じさせる。
道頓堀沿いに、劇場・映画館・寄席・飲食店が所狭しと軒を連ね、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような通りだ。
看板などもド派手で、東京で言えば新宿歌舞伎町のような猥雑な雰囲気に満ちている。

そんなわけで、明日以降も少しずつ、道頓堀の街並を紹介していきます。

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中越沖地震の募金

2007.07.20

社会人のための歌舞伎鑑賞教室(国立劇場)

7月19日午後7時から下記の演目で開催。

●歌舞伎のみかた(入門講座のようなもの)
●新版歌祭文(しんばんうたさいもん) 野崎村(一幕)
出演:中村福助(ふくすけ)・中村東蔵・中村松江・中村芝のぶ・中村芝喜松(しきまつ)

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私が歌舞伎を見るようになったのは、この社会人対象の普及公演がきっかけである。
渋谷駅でポスターを見て、恐る恐る電話して、チケットを購入したのが、今となっては懐かしい。

歌舞伎公演は大抵、昼の部11時~15時30分頃 夜の部16時30分~21時過ぎと、普通の勤労者には、平日は休暇を取らなければ観劇できない時間帯に上演される。「敷居が高い」と言われるゆえんであろう。

しかし国立劇場は独立行政法人なので、3年前から社会人向けの啓蒙の一環として、夜間に歌舞伎鑑賞教室を開催している。
第1回は「勧進帳」。前回も書いたが、松本幸四郎@弁慶と市川染五郎@富樫の「山伏問答」――丁丁発止のやり取り――は気迫に満ち、固唾を呑んで見守った。
また最後に、義経を逃がすために、弁慶が富樫への返礼として舞う「延年の舞」には、魂が揺さぶられるほど感激した。

その後、歌舞伎についてはだいぶ知識が増えてきたが、この企画公演には毎回通うようにしている。当日はモチロン、「ノー残業」だ。6時のチャイムが鳴ったら、即刻席を立ち、池尻大橋駅に向けてまっしぐら・・・。


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午後7時開演少し前、会場に駆けつけると、正面の机に「中越沖地震災害募金」の箱が置いてあり、中村松江さんが立って募金を呼びかけていた。募金の後、写mailで撮らせて頂いた。

さらに最初の幕が終ったあと、ロビーに出たら、女形3人(中村福助・中村芝のぶ・中村芝喜松)が同じ机でニコヤカに座っているではありませんか。
前に募金箱があり、募金してくれた人にはサインと記念撮影付きでしたので、観客は皆興奮しながら、シャッターを切ったり、並んでサインを貰ったりしていました。
私も並ぼうとしましたが、長蛇の列・・・。およそ200メートルはあると思われ、諦めました。福助さんのにこやかな表情を見るにつけ、悔しい思いをしました。

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芝居がはねて

2007.07.02

◆初ミュージカル鑑賞
私の趣味の一つは舞台鑑賞ですが、今月9日初めてミュージカル「レ・ミゼラブル」(帝劇)を鑑賞しました。今年は20周年で、6・7・8月の3ヶ月間のロングランで興行するそうです。
子供の頃に「ああ無情」(ヴィクトル・ユーゴー)をドキドキしながら読んだので、ストーリーはよく知っており、劇の展開が分からないということもなく、結構楽しめました。
帰りがけに皇居のお堀端を歩きながら、リピーターの方は、きっと贔屓の俳優や歌を楽しみにして、興行のたびに何回も通うのだろうなと思ったものです。

◆初御目見え
6月26日は、歌舞伎座千穐楽だったので、仕事が終ってから銀座に出て、6月の筋書(パンフレット)を購入。今月お目見えの「藤間 齋(いつき)」(2歳)君の写真をパチリ!
今月は高麗屋三代(松本幸四郎・市川染五郎・藤間齋)揃い踏みの舞台でした。
齋くんも、松本金太郎⇒市川染五郎⇒松本幸四郎と襲名を重ねながら、高麗屋の芸を継承していくことでしょう。果たしてどんな役者さんになるか楽しみ。豆高麗!!\(^o^)/
私の初歌舞伎鑑賞は、3年前に見た「勧進帳」(国立劇場)。幸四郎の弁慶、染五郎の富樫に、身震いするほど感動したことを思い出しました。

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◆生涯現役
好きな歌舞伎役者の一人に、故「十三世 片岡仁左衛門」(1903年~1994年)がいます。今の片岡仁左衛門(十五代目 前名:片岡孝夫 屋号:松嶋屋)のお父さんです。
この方の芝居は80歳近くに、白内障で目が不自由になってから、高い評価を受けました。

舞台はただでさえ危険なのに、衣冠束帯の衣装を着て、しかも見えない目で舞台上のきざはしを降りながら芝居するなんて。映像で見る度に感動です。大松嶋!!ヽ(^o^)丿
晩年には脳梗塞で倒れられたそうですが、いつも「こう変えたらできるだろう」「このようにやってみよう」と、出来ることを考えながら舞台に立ち続けたそうです。
例えば、花道を歩くことが難しければ舞台の左(下手)から出る。立てなくなれば座ったまま登場して台詞を言う。常に自分に出来る芝居に演出を変えながら、亡くなる3ヶ月前まで舞台に出て、多くのファンを魅了しました。

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最近、ふと気が付いたのです。そう・・。これって「介護予防」の「ICFの考え方」に繋がるんじゃないかって。できなくなったら諦めてしまうのではなく、自分の役割を考えて常にできることを捜し、「社会参加」を続けていく・・・。舞台役者ばかりでなく、私たち一般人も「生涯現役」を覚悟して、生きていきたいものです。

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